布団の中。画面の明かりだけが、顔をぼんやり照らしてる。
送信ボタンの上で、親指が止まる。これ送ったら、重いって思われるかな。忙しいのに、困らせるだけかも。代わりに送るのは、おやすみ、のスタンプ。画面を伏せて、天井を見る。部屋、静かすぎ。冷蔵庫の音だけが、やけにでかい。
飲み込んだ寂しいは、消えずに残る
まず、言わない選択をした場合、その先で何が起きるか。そこから話す。
我慢は貯金じゃない、借金だ
寂しいと言わずに耐えるのを、たいていの人は、大人の我慢だと思ってる。相手に負担をかけない、健気な判断だと。
違うんだよ。あれ、貯金じゃなくて借金なんだ。しかも、利子がつくやつ。
言えなかった夜が一回。二回。十回。表面上は、何事もなく過ぎていく。でも内側には、確実に積み上がってる。で、ある日、返済を迫られる。こっちの都合なんて、お構いなしのタイミングでな。……これが、本当にタチが悪い。
溜まった分は、必ず別の形で漏れる
積もった寂しさは、綺麗な形では出てこない。もっと、ねじれた形で漏れる。
急に不機嫌になる。理由を聞かれても、別に、としか言えない。返信が短くなる。相手の何気ない一言に、必要以上に噛みつく。あるいは、ある日いきなり、もう無理、って別れを切り出す。言われた側は、え、なんで、ってなるよな。だって、何も聞かされてなかったんだから。
これ、俺もやった。若い頃に。会えない日が続いて、寂しいって言えばいいだけの話だったのに、言えなくて。代わりに、電話口で、やたら素っ気ない態度を取った。向こうが、何かあった、って聞いてくる。別に、って返す。……試してたんだよ、相手を。察してくれ、って。あの時の、電話を切った後の部屋の静けさは、まだ覚えてる。伝わるわけないだろ、そんなやり方で。はぁ……。
何も言わなかった人が、消えた日
現場でも、似た光景を何度も見た。忘れられないのが、一度も弱音を吐かなかった人だ。いつも笑ってて、大丈夫です、が口癖で。周りは全員、あの人は平気なんだと思い込んでた。
で、ある日、ふっといなくなった。予兆なんて、何もなかった。……後で聞いたら、限界はずっと前から来てたらしい。誰も気づけなかった。というより、気づかせてもらえなかった。
言わないっていう選択は、相手を守ってるようでいて、相手から知る機会を奪ってる。ここ、けっこうデカい話だと思うんだよな。
なぜ、あの三文字は重く聞こえるのか
とはいえ、寂しいが重く響く場面があるのも、事実だ。そこもちゃんと分解しておく。
手紙として届くか、請求書として届くか
同じ三文字でも、受け取られ方は二種類ある。
手紙のほうは、こういうやつ。今、こんな気持ちでいるよ、っていう、ただの共有。読んだ相手は、へえ、そうなんだ、と受け取れる。負担がない。
請求書は違う。寂しい、だから、なんとかしろ。会いに来い。連絡をよこせ。文面に書いてなくても、その催促の圧が、べったり乗ってる。受け取った側は、支払いを迫られてる気分になる。で、身構える。
重いと言われる寂しいは、だいたい後者だ。感情そのものが重いんじゃない。感情に、支払い請求がくっついてるから、重くなる。
深夜のあれは、実物より膨らんでる
送る時間帯の問題もある。
夜中の二時。あの時間の寂しさは、実物より二倍くらいに膨れてるからな。夜って、そういうレンズがかかってるんだ。朝に読み返して、なんであんなに追い詰められてたんだろ、ってなるやつ。心当たり、あるだろ。
だから、深夜のテンションのまま長文を送るのは、やめといたほうがいい。膨らんだサイズのまま届くから、相手も面食らう。朝まで待って、それでもまだ言いたかったら、その時に送りゃいい。だいたい、朝には半分くらいに戻ってる。
言い方で別物になる
責める寂しいと、届く寂しい
まず、避けたい形。最近ぜんぜん会ってくれないよね、寂しいんだけど。……これ、寂しいの皮をかぶった非難だ。主語が、相手の落ち度になってる。言われた側は、責められた、と受け取って防御に入る。で、揉める。
届く形は、こっち。会えない期間が長いと、俺、けっこう寂しくなるタイプみたいでさ。相手を裁いてない。自分の内側の話をしてるだけ。この形なら、相手は身構えずに、へえ、って受け取れる。
同じ感情を伝えてるのに、着地がまるで違うだろ。分かれ目は、相手の行動を問題にするか、自分の状態を開示するか。それだけ。地味だけど、効き目は段違いなんだ。
具体的な一個に落とすと、相手は動ける
もう一段、効かせる手がある。ふわっとした寂しいを、小さくて具体的な一個に翻訳すること。
寂しい、だけだと、相手は何をすればいいか分からない。分からないから、困る。困ると、面倒に感じる。……重いと言われる正体、実はこの流れだったりする。
だから、こう変える。週末に三十分でも電話できたら、だいぶ違うと思う。おやすみだけでも送ってくれると、けっこう救われるんだよね。ほら、相手が動ける。しかも、頼んでるサイズが小さいから、引き受けやすい。
漠然とした大きい不満より、具体的で小さい一個。これができる人は、驚くほど揉めない。現場でも、うまく続いてる二人は、たいていこれをやってた。
言わないほうがいい場面も、正直ある
公平のために、逆の話も置いとく。何でもかんでも言えばいい、って話でもないからな。
相手と、タイミングは選んでいい
まず相手。まだ付き合ってもいない、距離のある人に寂しいをぶつけるのは、早い。向こうには受け止める理由もないし、責任もない。それは重いと感じられて当然だろ。
タイミングもある。相手が仕事で潰れかけてる時期、身内のことで大変な時。そこに自分の寂しさを乗せたら、相手のキャパを超える。……少し待つっていう判断は、我慢とは別物だ。状況を見て時期をずらすのは、ちゃんとした配慮。
毎日言うと、言葉が摩耗する
頻度の話もしておく。これは現場で、本当によく見た。
毎日、寂しい、寂しい、と送られ続けた男がいた。最初は、すっ飛んで会いに行ってたよ。そのうち、返信が事務的になった。しばらくして、既読だけついて、返ってこなくなった。……彼が冷たくなったわけじゃない。言葉のほうが、摩耗したんだ。
同じ言葉を毎日聞かされると、人はそれを日常の音として処理し始める。本当にまずい時の合図だったはずのものが、ただの環境音に変わる。だから、切れ味は残しておいたほうがいい。ここぞって時に、ちゃんと届かせるために。
全部を一人に預けない、っていう保険
一本のロープに、全体重をかけるな
寂しいが重くなる本当の理由。それは、あんたの寂しさの全部を、たった一人が引き受ける構造になってることだ。
一本のロープに全体重を預ければ、そりゃロープにも負荷がかかる。ミシミシいい始める。相手が薄情なんじゃない。人ひとりが支えられる重さに、限界があるってだけの話。
だから、体重を分散させる。友達に会う。夢中になれる何かを持つ。一人でも機嫌よく過ごせる時間を作る。これ、寂しさを我慢するのとは、まったく違うぞ。支えを増やす、って話だ。支えが複数あると、恋人に寂しいと言うハードルが、なぜか下がる。その人が、唯一の命綱じゃなくなるからな。
言える相手は、一人じゃなくていい
それと、これだけは言っておきたい。寂しいと感じること自体は、何も悪くない。人としてまっとうな反応だ。それを恥ずかしいことみたいに扱って、自分を責める必要なんて、これっぽっちもない。
厄介なのは、その気持ちを行き場のないまま抱えることと、宛先を一つに絞りすぎることのほう。だから、言える相手を、恋人以外にも持っとくといい。昔からの友達でも、家族でも。もし、誰にも言えないくらい重くなってるなら、話を聞くのが仕事の人を頼るのも、普通に選択肢だと思うよ。

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